ずっとファンだったH&Mの魅力を届けるPRの仕事
2008年9月に日本第1号店を東京・銀座にオープンしたH&M。オープン時に約5000人が押しかけ、入場制限を設けるほどの盛況振りだったことは多くのメディアでも伝えられている。そんなH&Mの日本立ち上げから携わり、PRコミュニケーションマネージャーとして活躍するのが今回の憧れウーマン、ミエ・アントンさんだ。
ミエさんの仕事はH&MジャパンでのPR、いわば企業広報。ファッションブランドとしてメディアへ商品を発表するのはもちろんのこと、H&Mのブランドコンセプト、また企業としての社会的存在価値を世の中に発信していくという幅広い分野に及ぶ。
抜群のプロポーションで、常に流行の先端を走り続けるファッションアイテムを着こなし、PRマネージャーという華やかな職業を手にした彼女とはいったいどんな女性なのだろう。
ミエさんはアメリカ人の両親に育てられ、幼少時代を日本の静岡で過ごした。高校・大学はアメリカへ留学。ファッションモデルの仕事をしていたこともあるそう。以前からマスメディアに興味を持っていて、大学院では社会学メディア研究を専攻していた。そんな彼女がH&Mに出会ったのはニューヨークに住んでいた頃だそう。
「ファッションは大好きだったけど、おしゃれな有名デザイナーの洋服は何百ドルもする高価なもの。当時は新卒でお金もなかったのでそんな高価な洋服を買うなんて到底ムリ。そこで注目したのが旬のトレンドアイテムが常にずらっと揃っていて、しかもリーズナブルな価格のH&Mでした。すぐに夢中になりましたね」
帰国後、PRエージェンシーで働いていたところ日本にH&Mが上陸するという情報を耳に。さらにPRマネージャーのポジション募集があると知ると、「絶対に自分がやりたい仕事だ」という気持ちが溢れてきたという。そんな時まさかのうれしいチャンス、H&Mからのヘッドハンティングを受けたのだ。
入社した2007年は、スウェーデンの本社とノルウェーのショップで研修を受け、H&Mの企業文化を肌で実感、吸収してきたそう。北欧がルーツのH&Mは、ワークライフバランスや女性の社会進出に関心が高く、社員をとても大切にしている。そんな社員想いの働き方を提案する社風に、ミエさんはいっそう魅了されたそう。
「H&Mは、働くときは働く、休むときは休む、というメリハリをつけた働き方が徹底されています。なるべく残業もしませんし、忙しくても19時には退社。2週間の休みを取ることもめずらしくありません。社員の生活があった上での『仕事』という考え方が基本にあるんです」
旬のファッションを素早く生み出し続けているH&M。
スピード感を持って働く仕事術とは
2009年9月で日本進出から1年を迎えたH&M。同月には渋谷、横浜、埼玉県の三郷と3つの新しい店舗を続々とオープン。ミエさんの仕事もますます忙しくなる。
「PRの仕事はルーチン業務が少なく、日々変化に富んでいます。主な仕事はテレビ・新聞・雑誌などのメディアを通してH&Mの最新アイテムや会社についてアピールすること。取材のセッティング、資料準備、取材対応も全て1人でやるので、各メディアの方とのメールや電話対応など細かい業務もたくさんあります。新店舗オープン時は特に注目が集まるので取材が1日に5件以上入ったりもします」
全てが順風満帆のようなミエさんのキャリア。しかし、H&M一店舗目である銀座店のオープン時には、予想以上にメディアの反響があり描いていたようなPR活動ができなかったこともあったそう。
「海外で既にH&Mを知っていた人も多く、期待値も高かったようでメディアから取材依頼が殺到しました。初めてということもあって十分な対応もできず、それが今でも心残りで」
その経験を活かし、今回の3店舗オープンには入念な準備を欠かさない。そんなミエさんの仕事にはきっとかなりのスピード感を求められるのではないだろうか。お仕事術が気になるところだ。
「やらなければいけない仕事は山ほどあるので、1つ1つ細かく見るのではなく、仕事の概観を把握して、プライオリティをつけてこなしていくようにしています。困ったことや悩んでいることがあるときは1人で抱え込まず、話す必要のある人に率直に話すことを心がけています。これは私の仕事のやり方というよりは、スウェーデンの本社で研修を受けたときに学んだH&Mの考え方なんですよ」
店舗オープンを無事終えたら、2週間ほどのバケーションを取って海外へ旅行に出かけるというミエさん。都会の慌しさや仕事を忘れリフレッシュし、また新たなパワーを蓄え戻ってくる。こんなミエさんのワーキングスタイルがいつもエネルギッシュなH&Mを支える源になっているのだろう。